Sir Joseph Banks(ジョセフ・バンクス卿)の名は、日本ではほとんど知られていないといってよいであろう。バンクスは18世紀の英国に生き、自然誌(Natural History)の基礎を築き上げた巨人ともいうべき人である。あとで述べるように、バンクスは1768年から約3年間にわたるキャプテン・クックの第1回世界探検航海に、科学班の責任者として同行したが、多数の植物標本を収集し、また写生画を作成して英国に持ち帰った。バンクスはこれらの成果を出版するべく、帰国後ただちに1万ポンドの費用を準備し、ロンドンのソーホー地区にある自宅で、植物画の完成と、その彫版(銅版)に着手した。バンクスに同行した画家の一人であるシドニー・パーキンソン(Sydney Parkinson, 1745-71)は航海中に病死したが、はじめに訪れたマディラから南アメリカ南端のフェゴ島・南太平洋のフレンドリー諸島までの植物画はほとんど完成し、その後、ソシエテ諸島以降は採集植物の数がおびただしいたためスケッチしか残せなかった。バンクスは帰国後、フレデリック・ポリドア・ノッダー(Frederic Polydore Nodder)、ジョン・クリーブリー(John Cleveley)、ヨハン・フレデリック・ミラー(Johan Frederic Miller)とその弟のジェームズ・ミラー(James Miller)、トーマス・バージス(Thomas Burgis)等に依頼して、パーキンソンのスケッチ画をもとに彼のメモや持ち帰った標本を参考に植物画を描き直させた。1777年にはパーキンソン自身の完成画も含めた483点が仕上がり、その後さらに作業がすすめられて全部で753点が完成した。
バンクスはこれらの原画をもとに彫版を作り、新植物記載の論文とあわせて図譜を出版するつもりでいた。そのために腕のよい彫版師を探したが、当時は有名な彫版師はすでに他の仕事に忙殺されており、英国には適当な人材が見つけられなかった。そこで、オランダからゲラルド・シベリウス(Gerald Sibelius)という彫版師をロンドンに招き、その他にダニエル・マッケンジー(Daniel MacKenzie)、ガブリエル・スミス(Gabriel Smith)、チャールズ・ホワイト(Charles White)、ジョン・リー(John Lee)、フレデリック・ポリドア・ノッダー等総勢18名がこの仕事に加わった。
こうして、植物図譜出版のための銅版は完成したが、新種植物の記載のために、論文を作成していた、植物学者ダニエル・ソランダ一(Daniel Solander)(後述)が病死したためこの方面の仕事は中断されたこと、また、バンクスは王立協会(Royal Society)の会長職をはじめとして多くの事業や仕事に忙しかったこと、そしておそらく資金も不足したことなどから、結局は出版はされないままであった。バンクスの死後、大英自然誌博物館に移管され、保存されていたこれらの銅版を使って、1900-05年にジェームズ・ブリッテン(James Britten)が「キャプテン・クックの航海中、1770年に収集されたオーストラリア産植物図譜(Australian Plants Collected in 1770 during Captain Cook's Voyage)」という著作の出版のため、ロバート・モルガン(Robert Morgan)にこれらの銅版から石版をつくらせて印刷した。
また、1973年には、ブラント(W. Blunt)とスティアルン(T.Stearn)の監修した「キャプテン・クックの植物図譜(Captain Cook's Florilegium)」の中に、オリジナル銅版から黒単色で30点の図譜が出版されている。
1980年から90年にかけて、大英自然誌博物館の植物部門にいるハンフリーズ(C. J. Humphries)とディメント(J. Diment)の努力により、バンクスの残した銅版から彩色の図譜か出版された。実に彫版されてから200年たってからのことである。
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